罪悪感は、どうして湧いてくるのでしょうか。
それは、自分の行いや現状を、心の底で受け入れたくない、認めたくないからです。
- ダイエット中だけど、食欲が抑えられず食べてしまい、罪悪感
- お年寄りが転んだのを目撃したが、人の目が気になり駆け寄ることができず、罪悪感
- 子どもたちを残し、自分だけ家を出るかたちで離婚し、罪悪感
- 人事部責任者として、会社から命じられるままにリストラを行い、罪悪感
では、受け入れたくない、認めたくない、というのは、一体どういうことなのでしょうか。
自分をりっぱな人間だと思っている
人は誰でも、未熟な部分を持ち合わせています。
はっきりいえば、未熟な部分がほとんどと言っていいと思います。
でも、本人はそうは思っていません。自分は、ちゃんとした人間だと。
- たるんだお腹を引き締めるためにダイエットをやり遂げる自分
- 困っている人にいつでも手を差し伸べる慈悲深い自分
- いつも子どもに寄り添うやさしい自分
- 会社の不条理な要求に立ち向かう勇敢な自分
しかし、実際やっていることは、その逆ですね。
- ダイエットを決断したのに続けられない根性なし
- 人目が気になり困っている人を見捨てた
- 自分の都合を優先して子どもの気持ちを無視した
- 会社命令を言い訳にして容赦なくリストラをした
この事実を、直視できないわけです。わたしたちみんな。
自分の醜さを見たくない。でも、取り返しのつかないことをやったのは自分。
理想の自分と、ほんとうの醜い自分とのギャップ。
これが、罪悪感の正体です。
罪悪感を放置すると
自分のやった過去の行いから、先へ進めなくなります。
未来への一歩を踏み出せないどころか、罪悪感を生み出すような出来事がもっと起きるようになります。
最悪、健康を害します。先の人事部長は、何年も罪の意識を持ち続けた結果、ガンになりました。彼は、自分のやったことを思えば当然の報い、と考えたそうです。
でも、ほんとにそうでしょうか?
罪悪感が教えてくれること
罪悪感を持つと、とても苦しいですね。
さらに、それがもとで病気を発症すれば、ますます追い詰められます。
この苦しさから逃れるにはどうすれば?
それは、ありのままの自分を受け入れることです。
どうしようもなく非力で、他人を差別し、嫉妬深く、小心で、自己中で、計算高くて、狡くて、プライドばかり高く、無能な自分を、それがワタシ、と受け入れるのです。
ありのままを認めると、絶望しますか?
自分をイヤになりますか?罰したくなりますか?
それは他人目線で自分を見ているから。
自分で自分を引き受けるのです。他人の目など関係ありません。
先の人事部長を例にあげると、
命令に背き自分が仕事を失うのが怖かった
社命を理由に冷酷にリストラを断行した
そのため多くの人が路頭に迷う結果となった
この事実を、認めるのです。認めたって、何かが変わることもありません。もうやってしまったことですから。
そうすれば、言い逃れ(言っても意味のない謝罪→罪悪感)は出てこなくなります。
罪悪感とは、もっと自分を認めて、という魂の叫びです。
罪悪感は、フタをすればするほど、存在が大きくなります。そして、苦し紛れに、いつまでも言い訳人生を送るハメになります。
人は、失敗なしに生きていくことなどできません。失敗してみっともない自分も含めて、人生なのです。
それを見つめて、受け入れて初めて、罪悪感はフェードアウトしていきます。それができてやっと、人生の再スタートをきることができるのです。