親ガチャという単語を初めて耳にしたとき、日本人は創造力豊かだなぁと感心したものです。
英語でも造語はよく使われますが、文字通りの意味でしかない。
その点、親ガチャと聞いて、一瞬で理解した人はなかなかいないでしょう。
ショッピングモールなどの片隅に置いてある通称ガチャガチャ。コインを入れ、ガチャッとハンドルを回すまで、何が出てくるかわからない。
すなわち、どんな親の元に生まれるかは自分で決められない、ということ。
近年、格差社会、児童の貧困・虐待などのニュースが出るたびに、取沙汰される「親ガチャ」。否定的な意味で使われることが多いです。
しかし、私はあえて、この造語を肯定的にとらえて記事にしてみました。
おみくじを引いたのは自分
タイトルにあるように、私は「親ガチャ」はおみくじと同じようなものだと思います。
両者を比較してみます。
おみくじ
神社へお参りし、
ついでにおみくじでも引くか、という気になり、
おみくじ引いて、一喜一憂する
親ガチャ
この世に生まれて地球で遊ぼうと思い、
親ガチャBOXをガチャガチャし、
自分の両親を見て、一喜一憂する
そっくりだと思いませんか。
両者の共通点がひとつあります。それは「自発的」、ということ。
くじを引いたのも、親ガチャしたのも、自分なのです。賛否両論あると思いますが。
「親ガチャ」という言葉がなぜ生まれたか
親ガチャという概念自体、物質主義にかたより過ぎた結果だと思います。
親が貧しいから、塾にも入れず、大学進学できない
親が貧しいから、助けてもらえない
親の虐待から逃れて家出したから、ろくな仕事に就けない
親のモラハラがひどくて、同じような人と結婚
親に洗脳され、犯罪を犯してしまった
その事実はたしかに辛いです。悪いことに、世間の多くの人もそう思っている。なぜなら、目に見えるものしか信用しない風潮がはびこっているからです。そうなると、親ガチャでババを引いた人は、一生苦労する、ということでしょうか。
いいえ、けっしてそんなことはありません。現に、過酷な環境に育ったり連れていかれた人でも、幸せな人生を歩んでいる人は多くいます。
それはある時から、意識を望む未来に方向転換したからです。
親ガチャ脳から抜け出よう
親に向かって「私は皇室の生活しか知らない」という捨てゼリフを発した愚かなプリンセスがいましたが、一見恵まれているふうに見えてもこのざま。きっと彼女は、親ガチャでババ引いた、と思っていることでしょう。
「親ガチャ」という考えは、妬みから来ています。自分に責任はない、だからなんでも人のせい。それではいつまでも人生が上向きません。
まずは自分の境遇を嘆くのを止めて、そのまま事実を肯定する。そして、どうしたら望む人生が開けるのか、意識をシフトしましょう。
すると、必要な情報がだんだんと集まってきます。意識が変わりさえすれば、「自分が見たいもの」が現れてくるのです。
この親を選んで生まれてきたのは自分。出発点を肯定してこそ、親ガチャ脳から抜け出ることができます。