ブログサイトを見ていると、闘病しつつ仕事も子育てもがんばってます、みたいな公式ブ
ログを見かけます。
ステージ〇のがんの病状とか、中には亡くなる直前のセルフィーを友人にアップして
もらったり。
なぜそこまでして自分をさらすんだろうと疑問でしたが、彼らにはそうせざるを得な
い事情があるようです。
治すことよりも注目されたい
病気の公表が悪いということではありません。しかし、病気というのは、自分の内面
の問題が表面化されたものです。
治すのはお医者さん、ではありません。なぜこんな病気になってしまったのか、自分
の心としっかり向き合う時なのです。
「同じ病気でがんばっている人たちの励みになれば」なんて言ってる場合じゃないの
です。
それなのに、相変わらずベクトルは外を向いたまま。
病気だけど、こんなにきれいな私を見て
病気だけど、仕事をりっぱにこなしている有能な私を見て
病気で、こんなに大変な治療をがんばっている私をほめて
病気で、こんなに弱ってしまった私をなぐさめて
とにかく人の注目を集めたい、反応がほしいのです。
そして、必ずといっていいほど誹謗中傷も集まりますが、今度はそれに傷つけられた
と大騒ぎします。だったらSNSなんか止めればいいのに、決して止めません。
元アイドル歌手Hは、病気のデパートかというくらい、次々と病気になっています。
ご本人もお辛いことと思いますが、これほど病気のことを書き綴るのを見ていると、
無意識に病を呼び込んでいるように見えます。
なぜなら、病気の自分でいると、注目が集まるから。
これはなにも有名人に限ったことではありません。
知人の母親が心筋症の兆候があるというので、知人は「カテーテル治療なら入院も短くて済むよ」とすすめてみました。
しかし彼女は「どうせ私の命なんて長くないんだから」とか言って、決して病院に行こうとしません。
そのくせ、発作が起きたときは毎回家族に電話をして、「早く来てくれ」と大騒ぎします。
つまり、心臓を治すことなんて彼女にとってはどうでもいいのです。
具合が悪いと騒いで家族を自分の元に来させる、そのためには病気でいるほうが都合がいいのです。
条件抜きで認められたことがない
子どものころにきちんと親に向き合ってもらえなかった人は、心に安心・安全な場所
が存在しません。
自分の存在そのものを、無条件に受け入れてもらえなかった不安、悲しみ、怒りは、
大人になっても無意識の中でくすぶり続けます。
何をやっても親から無視されたり、否定されたりすると、自分が自分でいてもいい、
という当たり前の感覚が、わからなくなるのです。
このような人は、他人から注目されないと、自分を確認することができません。だか
ら見て欲しい願望が人一倍強いのです。
しかし、これは他人に依存することになり、ずっと他人からエネルギーを補給しない
といけない。注目を集めるネタがなくなれば、病気になってでも人から注目された
い。
幼児が母親にかまってほしいのと全く同じです。子どものころの欲求を満たされな
かったから、大人になっても同じことを延々と続けるのです。
自分の不安に気づくこと
もちろんこれがいい悪いという話ではありませんが、深刻な病気になるというのは、
問題提起されているということです。
病気になったのは自分を大切にしてこなかったせいではないか
なぜ大切にできないのか
自分を酷使することでどんなメリットがあるのか
そのメリットがないとどんな不都合なことがあるのか
具合が悪いのに、なぜ無理してでもブログ更新しなくちゃと思うのか
なぜ注目をあびたいのか。それがなくなると、どんな気持ちになるか
自分の心を、できるかぎり掘り下げていくと、何を不安に思っているのか見えてきま
す。
その不安の元が、病気の元です。
いつまでも不安に振り回されていないで、地に足をつけて、自分に向き合え。
病気はそういうサインを送っているのです。
病気は闘うものではなく、愛するものです。なぜなら、自分の一部だから。
これまでは、自分の外側に愛情(注目)を求めて、満たされない、の繰り返しでした。
これからは、自分に向き合い、自分だけは自分を見捨てない、と心に誓うのです。